Arsenic

### 概要 ヒ素は、金属と非金属の中間的な性質を示す半金属（メタロイド）です。最も安定な同素体である灰色ヒ素は、金属光沢を持ちますが脆い性質があります。歴史的には、その強い毒性から毒薬として用いられたほか、顔料（緑色や黄色）や医薬品（梅毒治療薬サルバルサンなど）としても利用されてきました。現代における主な用途は、ガリウム (Ga) やインジウム (In) との化合物（GaAs, InAsなど）であり、これらはLED、レーザーダイオード、高速トランジスタ、太陽電池といった重要な電子・光デバイスを作るための半導体材料として不可欠です。また、鉛合金の硬度向上やガラス製造時の清澄剤としても利用されます。しかし、依然としてその高い毒性は大きな課題であり、環境汚染（特に地下水汚染）や健康被害が世界的な問題となっています。そのため、使用や排出には厳しい規制が設けられています。 ### 存在形態と製法 ヒ素は地殻中に広く分布していますが、単体で産出することは稀です。 - 存在形態: 主に硫化物として存在します。代表的な鉱物には、硫砒鉄鉱 (Arsenopyrite, FeAsS)、雄黄 (Realgar, $As_4S_4$)、鶏冠石 (Orpiment, $As_2S_3$) などがあります。多くの場合、銅、鉛、金、コバルトなどの鉱石に随伴しており、これらの金属を製錬する際の副産物として回収されます。 - 製法: - 硫砒鉄鉱を空気のない状態で加熱分解し、昇華したヒ素蒸気を冷却・凝縮させて金属ヒ素（粗ヒ素）を得る方法。 - 鉱石を焙焼して三酸化ヒ素 ($As_2O_3$, 亜ヒ酸とも呼ばれる) を生成し、これを炭素などで還元して金属ヒ素を得る方法。 - 半導体用途などに使われる高純度ヒ素は、ゾーンメルティング法などの精製技術を用いて製造されます。 ### 形態と用途 ヒ素は、その形態や化合物によって様々な用途があります。 - 金属ヒ素: - 鉛合金添加剤: 鉛に添加して硬度を高める目的で、ショット（散弾）や鉛蓄電池の格子（現在はアンチモンなどが主流）に利用されます。 - 銅合金添加剤: 耐食性や耐熱性を向上させる目的で利用されることがあります。 - 三酸化ヒ素 ($As_2O_3$): - ガラス清澄剤: ガラス溶融時に発生する微細な泡を除去するために添加されます。 - 試薬、中間原料: 他のヒ素化合物の製造原料として用いられます。 - 医薬品: 特定の白血病（急性前骨髄球性白血病）の治療薬として利用されています。 - 過去の用途: 顔料（シェーレ緑、パリス緑など）、殺鼠剤、農薬、木材防腐剤などに広く使われましたが、毒性のため多くが禁止・規制されています。 - 高純度ヒ素（半導体原料）: - III-V族化合物半導体の構成元素: ガリウムヒ素 (GaAs)、インジウムヒ素 (InAs) など、赤色・赤外線LED、レーザーダイオード、超高速トランジスタ、高効率太陽電池などの製造に不可欠な材料です。 - その他の化合物: 農薬、除草剤、木材防腐剤として様々なヒ素化合物が過去に開発・使用されましたが、環境や健康への懸念から使用は大幅に制限されています。 ### 供給と需要、市場 - 供給: ヒ素は主に銅、鉛、金などの製錬プロセスにおける副産物として生産されるため、その供給量はこれらの主要金属の生産動向に大きく左右されます。独立したヒ素鉱山は稀です。主要な供給国は中国、チリ、ペルー、モロッコなどです。 - 需要: 最大の需要分野は、過去には木材防腐剤や農薬でしたが、規制強化により減少し、現在は半導体産業（特にGaAs）が大きな割合を占めています。鉛合金やガラス用途も依然として存在します。 - 市場: LME（ロンドン金属取引所）のような公開市場での取引は行われていません。取引は主に生産者と需要家（化学メーカー、半導体メーカーなど）との間の相対契約に基づいて行われます。工業グレードの三酸化ヒ素や高純度金属ヒ素といった形で取引されることが多いです。価格は需給バランスのほか、副産物としての性質、主要金属の市況、環境規制の動向などに影響を受けます。 ### 毒性と環境問題 - 毒性: ヒ素およびその化合物の多くは非常に毒性が高く、急性中毒は消化器症状、神経症状などを引き起こし、死に至ることもあります。慢性的な摂取（低濃度でも）は、皮膚の色素沈着や角化症、神経障害、そして皮膚がん、肺がん、膀胱がんなど様々な種類のがんを引き起こすことが確認されており、IARC（国際がん研究機関）によりグループ1（ヒトに対する発がん性が認められる）に分類されています。無機ヒ素化合物（特に三価）の毒性が高いとされています。 - 環境汚染: 鉱山の開発や製錬活動に伴う排水・廃石からの流出、過去に使用された農薬や木材防腐剤からの溶出、地熱活動などが原因で、土壌や河川、特に地下水がヒ素で汚染される事例が世界各地で深刻な問題となっています。バングラデシュやインドなどでの大規模な地下水汚染は健康被害を引き起こし、大きな社会問題です。 - 規制: 人体への影響と環境汚染のリスクから、世界各国で飲料水中のヒ素濃度、土壌環境基準、工場排水基準、食品中の基準などが厳しく定められています。また、電子・電気機器における特定有害物質の使用制限に関するRoHS指令など、製品含有に関する規制も強化されています。 - 取り扱い: ヒ素及びその化合物を取り扱う際には、曝露防止のための適切な保護具の着用、作業環境管理、排出管理、廃棄物処理など、厳重な管理体制が必要です。 ### 関連用語 - 半金属 (Metalloid / Semimetal) - 同素体 (Allotrope) (灰色ヒ素、黄ヒ素、黒ヒ素) - 硫砒鉄鉱 (Arsenopyrite) - 雄黄 (Realgar) / 鶏冠石 (Orpiment) - 三酸化ヒ素 (Arsenic trioxide) / 亜ヒ酸 ($As_2O_3$) - ガリウムヒ素 (Gallium arsenide / GaAs) - 化合物半導体 (Compound semiconductor) - 副産物 (By-product) - RoHS指令 (Restriction of Hazardous Substances Directive) - 環境基準 (Environmental standard) - 地下水汚染 (Groundwater contamination)